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7 雨やどりの夜に

last update Last Updated: 2025-09-14 05:44:04

 突然の雷雨だった。僕はひとまずハーヴィーを宿舎の部屋へ連れて戻り、濡れた髪をタオルでいてあげた。それから、彼の濡れたシャツを脱がせてハンガーにかけ、部屋の中に吊るして干した。雨の中を走ったのはほんの数分だったが、頭のてっぺんから足の先までびしょびしょだ。

「これでよしっと」

「ありがとう、オリバー」

「どういたしま――」

 振り返りながらそう返し、慌てて目をらす。上半身があらわになったまま、ハーヴィーはそこに立っていた。

「ちょ、ちょっと待ってね……!」

 筋肉隆々の、たくましい体つきに驚かされる。昼間、サラブレッドである彼の、筋肉質な体を目にしてはいるものの、人の姿に変わっても、服に隠された体がこんなにも男らしいものだったとは、僕は思いもしなかった。

「い……、今、服を貸すから!」

 僕はすぐに代わりの服を探してタンスをあさったが、残念ながら、僕の服はどれもハーヴィーには小さすぎた。仕方なく、薄い毛布を彼にかけて、体が冷えないように電気ケトルで湯を沸かす。それから、あたたかい紅茶を淹れる。紅茶はオークリーさんから分けてもらったもので、香りのいいダージリンティーだった。

「はい、どうぞ。紅茶だよ」

 しきりに窓を叩く雨音は強くなっていくばかり。時折、暗い空が光り、その直後、地響きのような雷鳴がとどろいた。しかし、ハーヴィーは窓の外を気にもせず、以前と同じようにベッドに座っている。そうして、まだ少し濡れている髪をタオルできながら、紅茶を注いだマグを受け取り、それに鼻を近づけ、匂いを嗅いで微笑ほほえんだ。

「ありがとう。いい香りだね」

「うん。オークリーさんがくれたんだ。お母さんが茶葉を作ってるんだって。……そうだ、よければ、ジャムを入れる?」

「うん」

 僕は部屋のバスケットの中からいちごジャムを取り出すと、それをスプーンでひとさじすくい、ハーヴィーの紅茶の中にぽちゃんと入れた。

「いちごの匂いだ」

「あたり」

 僕は微笑ほほえみ、ハーヴィーの隣に座る。ハーヴィーは何度かマグに口をつけてから、ふと不思議そうに首をかしげてたずねた。

「オリバーのはないの?」

「僕はいいよ。それに、僕の部屋にはマグが一個しかないから……」

「じゃあ、一緒に飲もう。はい」

 ハーヴィーは僕にマグを
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